みなさんこんにちは
前回は台風の影響により授業が休講になってしまいました。
その影響で授業のスケジュールが修正されています。
詳しくはもうひとつ前の投稿記事をご覧ください。
さて、今日は神奈川県の
安全防災局安全防災部災害対策課から
支援調整グループ
グループリーダー:松井 隆明氏
副主幹:繁里 昭宏氏
のお二人にお越しいただきました。
今日は神奈川県にいらっしゃる長期避難者の皆さんのことについてということで、
これまでの取り組みと状況についてお話しいただきました。
震災直後から現在進行中の取り組まで、
神奈川県がどのように東日本大震災の被害を受けられた方に
支援を行ってきたか、どのような課題があり、
どのような工夫があるかということをお話しいただきました。
震災被害後の問題や大切だったこととしては、
大きく、
震災後、避難当初はプライバシー
時間がたって仮設ができると、今度は物がない、情報にみんなでいたときよりも触れにくくなる。
さらに時間がたって自立に向けた取り組み
などのことが挙げられるますが、
その中で神奈川県は他にはない取り組みを行ったとの話を伺うことができました。
その一つが、
「かながわ避難者 見守り隊」
です。
また、
「東日本大震災 支援・情報ステーション」
「新たな課題への県の取り組み」
・かながわ避難者支援会議
・専門サポート
・東北きずなサロン
が特徴としてあげられるようで、印象深かったです。
神奈川県に避難している方は現在で約2300名ほどいらっしゃる。
9割は福島から。ということですが、
「かながわ避難者 見守り隊」は県内避難者に対して戸別訪問を行っています(延べ8000回)
その取り組みの中で、質問や相談を行い県内避難者の皆さんに対応してきたということです。
この取り組みがあったから、県が皆さんのことを把握できて対応してきているというのがあります。
この取り組みは他にはない取り組みで、
県が慣れない土地に避難して生活する人たちにどうやったらサポートがうまくいきわたるか、
一人ひとりが何ができるのかを考えた結果生まれた仕組みであるようでした。
(他の件では地域の民生委員さんなどが行っていたりするが、高齢化の地域などはそれがなかなか難しいらしいということがあるということもうかがえました。)
また、何ができるのかという点で、
多くのアイディアが積極的に試されたということがあったようです。
例えば、質問タイムで上がっていたのは、
被災者受け入れのホームステイボランティア。(小中高生に安定した学校生活を送ってもらうため)
やってもいいという方は1486件でとても多くの数手が挙がったが、
実際にはマッチングなどが難しく17名ほど(+短期9名)の人がホームステイを利用したということでした。
また、
「東日本大震災 支援・情報ステーション」→避難者自らが相談、情報収集できる場
「新たな課題への県の取り組み」
・かながわ避難者支援会議→知識を持つ団体同士の連携
・専門サポート→それぞれ被災者のニーズに合わせた対応
・東北きずなサロン→3年目で被災地の情報、人などに触れ、地元とのつながりを希薄化させない
のような取り組みも大事になってきているようです。
今週は以上になりますが、
次週は地域経済に関するショートレクチャーと
今後のグループワークに向けてグループ分けを行うので、
「どういう地域課題に取り組みたいか、候補を挙げてきてください(特に震災にかかわらず)」
ということでしたので、出席者の皆さんは考えてきましょう。
ご一読いただきありがとうございます。
岩崎俊貴
2013年10月24日木曜日
2013年10月23日水曜日
2013年10月9日水曜日
【第2回 横浜関内地域の戦災復興と地域創造:長期避難を考える】
第2回の今日は、
横浜国立大学 都市イノベ-ション研究院 建築計画研究室の
藤岡泰寛先生に
「横浜関内地域の戦災復興と地域創造:長期非難を考える」
というタイトルで講義していただきました。
先生は横浜の震災、戦災復興について特徴をさまざまに上げてらっしゃいました。
その中から、地域を再び創りあげていくという視点で見ていくと大切なことは、
keywordsで上げるとするのであれば、3点。
・復興にかかわる人々
・震災や戦争後そして時間経過の中で変化する計画
・法律の壁(良い仕組みがない)
の存在であると思われます。
つまりは人、しくみ、計画。
【復興にかかわる人々】として一番大事なことは、
中心となって周りとかかわりながら物事を成し遂げていく人物でしょう。
今回は震災復興時→父:原富太郎と 戦災復興時→子:原良三郎
が市民の代表として活躍していたというお話でした。
例えば原富太郎は
「横浜の本体は厳然としてなお存在しているのであります。横浜の本体とは何か。市民の精神であります。」
とのべています。
こういったリーダーになる人物がいることは次の街を創りだしていくとき、
間違いなく必要であるでしょう。
また、出来事の後はそこに残りたい人、出ていく人、
協同で再建しようとする人、個別で再建しようとする人など様々な人がいます。
これらの人々をどうリードしていくかが課題かと思われます。
【震災や戦争後、そして時間経過の中で変化する計画】
震災や、戦争の後、様々なことが変わっていくが、
建物や街というものに焦点を当てていくと、その前後、時間経過の中で推奨されるもの、
計画が変わっていきます。
たとえば、震災と戦争の前後では以下のように変化がありました。
1923年の関東大震災による震災。 そのあとは耐火、耐震建築が主に。(建築物個々のスケールでの取り組み)
1945年横浜大空襲による戦災。そのあとは防火帯建築の計画と実行。(都市スケールでの取り組み)
⋆防火帯建築wiki
戦後時間が経ってからの話では
当初36kmの防火帯建築を作る予定だったが、
結局は9kmの防火帯建築になったという話がありました。
ここから計画は常に変化しているということを含みながら
物事に取り組まなければならないことがうかがえると思います。
長期的であればなおさら。
最後に
【法律の壁(良い仕組みがない)】 について
法律や仕組みは時としてベストだと思うことをやりづらくしていることがある気がします。(でも制約があるからより創造的になれるっていうことはあるかも)
今回お話に出てきた「地代相当額」という概念と法解釈のくだりより。
(すみません、よくはわかってません。。)
でも、そこを突破していこうという意気込みと実際にやってしまうことが
大切であるように思いました。
震災も戦争も、この日に絶対に起こるということが前々からわかっているわけではありません。
また、いくら準備をしていても、準備がし切れていない部分、気づけていない部分ががあります。
原発に対する対策、また、津波に対する対策もしかり。
日々、人が変わり、組織の仕組みも、法などの制度も変わる。
災害があればなおさら。
地域を創造していくことで大事なことは
災害があろうがなかろうがそんなに変わらないのだろうか、それとも違うのだろうか。
具体的に、どんな人で、どんな仕組みで、どんな制度で、どんな場所がetc.大事なんだろう。
これからの授業で見ていきたい。
今日はここまで。
やー、長くなっていました。^^;
長文読んでいただきありがとうございます。
岩﨑俊貴
p.s.
授業後に先生のブログがあることを知りました。
横浜に500作られた防火帯建築。
今も残る約200の防火帯建築についてこれからひとつひとつ触れていきたいとのことでした。
ご興味のある方は是非ご覧ください。
藤岡先生が書かれているブログはこちらからご覧になってください。
横浜が「大空襲と長期接収の二重苦からどのように復興を果たしたのか。そこで努力したのはいったいどのような人達だったのか。いまも関内外に残る防火帯建築群を記録・紹介することから考えてみたいと思っています」と記されています。
横浜国立大学 都市イノベ-ション研究院 建築計画研究室の
藤岡泰寛先生に
「横浜関内地域の戦災復興と地域創造:長期非難を考える」
というタイトルで講義していただきました。
先生は横浜の震災、戦災復興について特徴をさまざまに上げてらっしゃいました。
その中から、地域を再び創りあげていくという視点で見ていくと大切なことは、
keywordsで上げるとするのであれば、3点。
・復興にかかわる人々
・震災や戦争後そして時間経過の中で変化する計画
・法律の壁(良い仕組みがない)
の存在であると思われます。
つまりは人、しくみ、計画。
【復興にかかわる人々】として一番大事なことは、
中心となって周りとかかわりながら物事を成し遂げていく人物でしょう。
今回は震災復興時→父:原富太郎と 戦災復興時→子:原良三郎
が市民の代表として活躍していたというお話でした。
例えば原富太郎は
「横浜の本体は厳然としてなお存在しているのであります。横浜の本体とは何か。市民の精神であります。」
とのべています。
こういったリーダーになる人物がいることは次の街を創りだしていくとき、
間違いなく必要であるでしょう。
また、出来事の後はそこに残りたい人、出ていく人、
協同で再建しようとする人、個別で再建しようとする人など様々な人がいます。
これらの人々をどうリードしていくかが課題かと思われます。
【震災や戦争後、そして時間経過の中で変化する計画】
震災や、戦争の後、様々なことが変わっていくが、
建物や街というものに焦点を当てていくと、その前後、時間経過の中で推奨されるもの、
計画が変わっていきます。
たとえば、震災と戦争の前後では以下のように変化がありました。
1923年の関東大震災による震災。 そのあとは耐火、耐震建築が主に。(建築物個々のスケールでの取り組み)
1945年横浜大空襲による戦災。そのあとは防火帯建築の計画と実行。(都市スケールでの取り組み)
⋆防火帯建築wiki
戦後時間が経ってからの話では
当初36kmの防火帯建築を作る予定だったが、
結局は9kmの防火帯建築になったという話がありました。
ここから計画は常に変化しているということを含みながら
物事に取り組まなければならないことがうかがえると思います。
長期的であればなおさら。
最後に
【法律の壁(良い仕組みがない)】 について
法律や仕組みは時としてベストだと思うことをやりづらくしていることがある気がします。(でも制約があるからより創造的になれるっていうことはあるかも)
今回お話に出てきた「地代相当額」という概念と法解釈のくだりより。
(すみません、よくはわかってません。。)
でも、そこを突破していこうという意気込みと実際にやってしまうことが
大切であるように思いました。
震災も戦争も、この日に絶対に起こるということが前々からわかっているわけではありません。
また、いくら準備をしていても、準備がし切れていない部分、気づけていない部分ががあります。
原発に対する対策、また、津波に対する対策もしかり。
日々、人が変わり、組織の仕組みも、法などの制度も変わる。
災害があればなおさら。
地域を創造していくことで大事なことは
災害があろうがなかろうがそんなに変わらないのだろうか、それとも違うのだろうか。
具体的に、どんな人で、どんな仕組みで、どんな制度で、どんな場所がetc.大事なんだろう。
これからの授業で見ていきたい。
今日はここまで。
やー、長くなっていました。^^;
長文読んでいただきありがとうございます。
岩﨑俊貴
p.s.
授業後に先生のブログがあることを知りました。
横浜に500作られた防火帯建築。
今も残る約200の防火帯建築についてこれからひとつひとつ触れていきたいとのことでした。
ご興味のある方は是非ご覧ください。
藤岡先生が書かれているブログはこちらからご覧になってください。
横浜が「大空襲と長期接収の二重苦からどのように復興を果たしたのか。そこで努力したのはいったいどのような人達だったのか。いまも関内外に残る防火帯建築群を記録・紹介することから考えてみたいと思っています」と記されています。
2013年10月5日土曜日
[第1回 地域創造論 イントロダクション]
このブログをご覧の皆様
はじめまして。
お立ち寄りいただきありがとうございます。
本年度も横浜国立大学大学院では、
10月2日より地域創造論が開講しました。
今年で二年目の授業になります。
このブログでは、
各回の講義内容についての簡単な紹介をしていきたいと思います。
この授業は、
前半において各研究院の教員により各専門の観点から地域における状況や課題を学び、
後半では受講生がグループに分かれ、
グループワークを行い、新しい地域創造に向けた提案を行っていきます。
「本年度の『地域創造論』では、東日本大震災後の社会を「post3.11」ととらえ、
まだきわめて多数の避難者がいることや、その裏返しとしての被災地の復興に向けた格闘の様子、一歩ずつ進む新産業・新エネルギーシステムへの移行の状況や課題などを前半で学びます。
後半ではグループに分かれて課題を設定し、新しい地域創造に向けた提案を模索します。」
本授業の担当教員である高見沢 実(たかみざわ みのる)先生のブログより。
申し遅れましたが、
今期のブログは
横浜国立大学修士2年 建築計画研究室所属の
岩﨑俊貴(いわさき としき)が担当させていただきます。
では、早速ですが今日の内容についてご紹介します。
本日の内容は
今後の授業の流れ
の確認を行った後、以下の3つが
これから地域創造をしていく上で大切なことであるとのお話がありました。
・地域が連携すること
・共通目標を創ること
・本「貧困の終焉」から学べる地域創造に生かせること
【地域が連携する】
・あまちゃんの話があげられました。
地域の北三陸鉄道、高校生と北三陸鉄道、市長、さかなクン
次々と新しい人たちが連鎖しながら生き生きする方向へつながっていくその様子から、
地域がつながっていくことで大きく変わっていくことができる。
そのことが学び取れます。
【共通目標を創る】
・全体を含めてプロデュースする。
問題設定をして、住みたい都市、街の像をみんなで共有しながら方向性を定めて、
仲間を集めて、それぞれがまとまりをもちながら意見を調整し、
共通のビジョンを創り地域を創造していく。
【本 貧困の終焉】
・地理学の重要性
海沿いの地域インフラが整いやすいので恵まれている。
陸はインフラが整いにくいというその住みづらさから始まる。
公務員の質が異なる…など、
地域の特色を含んだものでないと効果がでないのではないかと。
・臨床
何が地域の課題か。
現場を知ること。課題が特定されても更なる課題がでてくるかも。
経済学をやりながら臨床を大事にすることが必要であるだろう。
・持続的に
これがいいと思って始めても
次の課題が出てくる。課題が解決されれば次の課題が見えてくる。
本日は以上です。
長文に目を通していただいてどうもありがとうございます。
今学期の最後までとなりますが、
どうぞよろしくお願いいたします。
岩﨑
はじめまして。
お立ち寄りいただきありがとうございます。
本年度も横浜国立大学大学院では、
10月2日より地域創造論が開講しました。
今年で二年目の授業になります。
このブログでは、
各回の講義内容についての簡単な紹介をしていきたいと思います。
この授業は、
前半において各研究院の教員により各専門の観点から地域における状況や課題を学び、
後半では受講生がグループに分かれ、
グループワークを行い、新しい地域創造に向けた提案を行っていきます。
「本年度の『地域創造論』では、東日本大震災後の社会を「post3.11」ととらえ、
まだきわめて多数の避難者がいることや、その裏返しとしての被災地の復興に向けた格闘の様子、一歩ずつ進む新産業・新エネルギーシステムへの移行の状況や課題などを前半で学びます。
後半ではグループに分かれて課題を設定し、新しい地域創造に向けた提案を模索します。」
本授業の担当教員である高見沢 実(たかみざわ みのる)先生のブログより。
申し遅れましたが、
今期のブログは
横浜国立大学修士2年 建築計画研究室所属の
岩﨑俊貴(いわさき としき)が担当させていただきます。
では、早速ですが今日の内容についてご紹介します。
本日の内容は
今後の授業の流れ
の確認を行った後、以下の3つが
これから地域創造をしていく上で大切なことであるとのお話がありました。
・地域が連携すること
・共通目標を創ること
・本「貧困の終焉」から学べる地域創造に生かせること
【地域が連携する】
・あまちゃんの話があげられました。
地域の北三陸鉄道、高校生と北三陸鉄道、市長、さかなクン
次々と新しい人たちが連鎖しながら生き生きする方向へつながっていくその様子から、
地域がつながっていくことで大きく変わっていくことができる。
そのことが学び取れます。
【共通目標を創る】
・全体を含めてプロデュースする。
問題設定をして、住みたい都市、街の像をみんなで共有しながら方向性を定めて、
仲間を集めて、それぞれがまとまりをもちながら意見を調整し、
共通のビジョンを創り地域を創造していく。
【本 貧困の終焉】
・地理学の重要性
海沿いの地域インフラが整いやすいので恵まれている。
陸はインフラが整いにくいというその住みづらさから始まる。
公務員の質が異なる…など、
地域の特色を含んだものでないと効果がでないのではないかと。
・臨床
何が地域の課題か。
現場を知ること。課題が特定されても更なる課題がでてくるかも。
経済学をやりながら臨床を大事にすることが必要であるだろう。
・持続的に
これがいいと思って始めても
次の課題が出てくる。課題が解決されれば次の課題が見えてくる。
本日は以上です。
長文に目を通していただいてどうもありがとうございます。
今学期の最後までとなりますが、
どうぞよろしくお願いいたします。
岩﨑
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