2012年12月19日水曜日

第11回 人の国際移動から見る「地域」〜「批判的地域主義」の視点〜


第11回の本日は、横浜国立大学 都市イノベーション学府 小ヶ谷千穂先生に『人の国際移動から見る「地域」〜「批判的地域主義」の視点〜』というタイトルで講義していただきました。



グローバリゼーションが進むことで、カネ、モノ、情報と同じように、人も国境を越えて移動するようになりました。グローバル・エリートと呼ばれる世界中のオフィスを飛び回る経営者たち、留学生や観光客、さらには契約労働者としてサービス業や工場労働に従事する人まで、多くの人々が自国を飛び出し活動しています。


フィリピンは出稼ぎ立国とも言われ、政策として海外雇用を推進しており、社会・経済・政治的にも海外フィリピン人の存在が重要になっています。
海外で働くフィリピン人は、送金や海外フィリピン人とフィリピンをつなぐビジネスなど、様々な形で母国を支えています。帰国することがあまりなくとも、送金以外にも教会や学校を寄贈したり、災害時の緊急支援物資提供やNGOへの支援といった援助を行なっており、自国とのつながりをとても大切にし、「バヤニハン(=相互扶助)」の精神が越境化して作用しているようです。


フィリピンの人々は出稼ぎ先でチャイナ・タウンのような場所を持ったコミュニティを形成することはあまりなく、教会のときだけ集まるような普段は目に見えないネットワーク型のコミュニティを作っています。
雇う・雇われるといった階級的な緊張関係を含んだものの、移動した先の人々との間にもつながりを作っています。

このように、複数の国・社会の基盤をもつ人々が織りなす社会関係のことをトランスナショナリズムといいます。


批判的地域主義というのは、ナショナリズムにつながるような同質性を注意深く避けつつ、その共同体に「異質性」を持ち込むことだそうです。
必ずしも皆同じことを考えている共同体ではなく、違いを認めた上で居心地の良い場所を見つけ、複数の居場所で異種混交的な生き方を見出すこともあり得るという考え方は、地域をどう捉えるのかについておもしろい視点だったように思います。 

2012年12月13日木曜日

第10回 Archi Aidの活動


第10回の昨日は、横浜国立大学 都市イノベーション学府 Y-GSAの小嶋一浩先生に「Archi Aidの活動」について講義していただきました。



小嶋先生は、建築家として活動する一方、アーキエイドという東日本大震災における建築家による復興支援のネットワーク活動に参加しており、牡鹿半島支援活動に関わり、まさに最前線で地域創造を行っています。


復興計画では、いろいろな関係者が補助金ごとにそれぞれ提案をして絵を描きますが、誰も統合した絵を描きません。アーキエイドの役割は、住民にとってわけのわからなくなってしまっている複雑な計画案を、統合的な絵や模型を作ることを通して今起こっていることをわかりやすく説明し、住民の思いを聞き入れた対案を作って提示したりすることです。


小嶋先生のチームは石巻市の牡鹿半島で昨年夏から復興計画に関わっています。最初に5日間のサマーキャンプを行い、スタートしていきました。現地のキーマンにヒアリングに行って地域の意見を聞き、自身の専門家としての知識も取り入れながら計画を作っています。

提案する図面や絵はコンピュータ・グラフィックスを使わず、手書きの図面・絵、それから模型を使って地域の人に計画の提案をしています。手書きの方が年配の人たちにも理解させやすいそうです。


提案を実際の計画に取り入れてもらうためには、行政をはじめ土木関係者たちとも話をしなければなりません。最前線の人たちと話し合いを通して説得しても、制度的な壁は高く、決定を下す人たちまで話がいくとやはりNGということはあるそうです。
そのため、すべての技術的な問題をクリアするまで徹底的に図面・模型をつくって議論し、これなら実行しない理由はないというレベルまで作って説得するそうです。

話し合いという言葉のレベルではなく、図面・模型を通して説得するというのはとても建築家らしい実行力のある地域創造のやり方だという印象を受けました。 

2012年12月6日木曜日

第9回 「生存」のための地域復興をめざす ―歴史と現在―


第9回の昨日は、横浜国立大学 国際社会科学研究科の大門正克先生に『「生存」のための地域復興をめざす ―歴史と現在―』というタイトルで講義していただきました。



ポスト3.11以降を考えるということで、大きなテーマとして、まず「生存」とは何かというを、大門先生は、人間が生きていく上で欠かせないものとして、「労働」と「生活」を両立させることを重要視しています。
実際に、3.11後の被災地では、雇用確保の困難や、教育・出産・育児といった生活の崩壊という現実があります。


今回は、歴史を振り返り、先人たちが「労働」と「生活」を実現する上でどのような取り組みを行なってきたのかを見ていくことで、現在の活動を歴史的経験と照らし合わせ、私たちの現在の足もとを映し出していきました。


戦後復興期の岩手県北上市和賀町は、農家の女性の過重労働や高い乳幼児死亡率とった問題をかかえていました。この地域では、地域の女性たちが立ち上がり、生活記録をつけ自らの生活を見つめなおし、自主性を喚起するといった取り組みをはじめ、労働時間と生活時間のバランスを意識し「いのちを守る農村婦人運動」が起こりました。そんな地域の活動に呼応するように役場も、国民健康保険直営診療所を開設したり、「母子衛生事業」母子保健センターも設置し、地域がかかえる問題を解決していきました。

一方、現在、宮城県石巻市雄勝では被災者となった子どもたちは、一方的に支援されるだけで何もできないことから心身不安定な状態という問題をかかえていました。雄勝では学校教育を見直し、学力養成から地域復興の担い手として育てることにシフトすることを考え、学校全体で仮設住宅の表札作りなど総合学習に取り組みました。子どもたちも何もできないのではなく地域の人たちの役に立っているということを実感させ、自尊感情を回復させることでかかえていた問題を解決していきました。最終的には、子どもたちはまちづくり協議会でプランを提案し、一部採用されるといったまさに地域復興の担い手として立派に成長していきました。


これらの事例では、地域住民の自主性や、役場やまちづくり協議会といった地域組織との連携、生活の再建など、共通するポイントがいくつもありました。


このように歴史をふまえることで、地域住民と地方自治体の役割や、「生活」と「労働」を両方視野に入れた「生存」の仕組みの特徴を意識でき、現在の地域の到達点・課題も明瞭に見えてきました。



各グループの提案にもこのような視点が入ることで、ブラッシュアップさせていけるのではないでしょうか。