2014年10月22日水曜日

地域創造論 2014年度 第03回「国際的な難民支援と緊急援助」

みなさん、こんにちは。本日は2014年度の地域創造論、第03回目となります。
本日は、国際社会科学研究院の小林誉明先生から「国際的な難民支援と緊急援助」と題した講義が行われました。今回は、主に災害復興というテーマについて、JICAで実際に小林先生が支援に携わったウガンダの内戦(19862006)のケースを取り上げて考えてみました。

小林先生がみんなに質問します
 先生の話によれば、ウガンダの北部では内戦状態が20年も続き、約200万人(北部人口の95%)もの農民の人々が、国内各地に設けられた難民キャンプで生活していたそうです。そして、その内戦は、2006年に終結したのですが、何故か難民の人々は元の村に帰ろうとはしません。これはいったい何故なのでしょうか?
 先生のこの質問に対し、学生からは「今の生活の方が援助を受けられる分、楽だから」、「経済的に自立できるかどうか分からないから」、「もう既に難民キャンプの中でコミュニティができてしまっているから」、「難民キャンプの都市的な生活のメリットを実感してしまったから」といった意見が出されました。そして、こういった意見は、どれも実際に難民の方々が挙げた理由だったそうです。
話を聞き、考える学生たち
 故郷の村を捨て、難民キャンプに残る理由は、ひとことで言えば「生活再建のメドが立たないから」ということになりますが、そこにはさまざまな要因があります。例えば、人々が密集して暮らし、「都市」としての生活形態をとることには、まず「便利である」というメリットがあります。自分たちが元々いた村は、買い物をするにも学校に行くにも、長い距離を移動しなければなりません。しかし、人口が密集していれば、経済活動の効率が良くなるので、人々の生活欲求を満たしてくれるさまざまなお店や施設が自然と生まれてきますし、そこに雇用も生まれます。
さらに、20年もの月日は、人々の農民としてのアイデンティティを消失させました。つまり、20年も農作業をしない生活を送ってしまうと、技術や知識、経験を持った人がいなくなってしまったり、忘れてしまったりするため、農業を再開しようとしてもそれができる人がいないのです。
くわえて、元々の村に帰ろうにも、20年間の間に道路や橋などのインフラはなくなってしまっています。それでも人々は、川に適当に木を放り込んで「橋」を架けたりするのですが、それは家畜や家財道具を運ぶことには耐えられないため、人が単身で行き来できても、実際には帰ることができないそうです。
 しかし、人間というものは意外にタフで、本当に必要だと思えば、外から言われなくても自分たちでなんとかしてしまうものです。実際に、内戦があった地域には、自然に出てきたリーダーを中心として、自発的に学校がつくられ、そこで教育が行われているそうです。だから、支援者というものは、単に自分たちのやり方を押し付けるのではなく、そういった自立への意思を持った人々が、創造力を最大限発揮できるような環境を後ろから整えてあげることが必要なのだと、小林先生はおっしゃいました。

本日の内容は、以上となります。次回は、1029日、国際社会科学研究院の大門正克先生による「震災後の被災地で実践してきたこと―歴史から被災地の復興の道筋を照らし出す試み」についての講義が予定されています。
山川博彰
以下は、課題レポートについての情報です。
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小レポートの課題
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ポスト3.11における新しい地域像として,
(1)具体的にどのような地域像を想定し,グループワークの課題を設定したの
(2)グループワークに対して,自分自身の専門分野の知見をどのように活用・提供したのか
(3)GWの結果として何を学んだのか
についてそれぞれ論じなさい。
分量はA4 1~2枚程度
提出は第14回目の終了時(2015年01月21日)
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