第3回の昨日は、横浜国立大学 都市イノベ-ション研究院 建築計画研究室の藤岡泰寛先生に「横浜関内地域の戦災復興と地域創造:現代からの再評価」というタイトルで講義していただきました。
関内地区の歴史は災害との戦いです。
1923年の関東大震災による震災、1945年横浜大空襲による戦災。
今の関内はこれらの被害を乗り越え存在しています。
関内地区では延焼を防ぐために防火建築帯という不燃建築が造られました。
見た目はコンクリートのなんてことない建物ですが、帯状にするため複数の敷地をまたぎ、共同化して建てられた独特の建築です。
これらの復興は民間主導で行われていました。
原良三郎(原富太郎(三渓園を作った人)の後継)がまとめ役となり原ビルを作り、以後関内地区には500棟以上の防火帯建築が造られ、今でも200棟以上がまだ現存しています。
戦前に建てられた西洋風の建物は歴史的建築物として知っている人も多いかもしれませんが、
何気なく見過ごしている風景の中にも、実は被災から立ち上がるために原のような民間人が中心となって作り上げた街並みが存在していることはあまり知られていません。
関内は、地元を愛する人々の力によって守られてきた歴史があるというのを、今回の講義で知ることができました。
原良三郎(原富太郎(三渓園を作った人)の後継)がまとめ役となり原ビルを作り、以後関内地区には500棟以上の防火帯建築が造られ、今でも200棟以上がまだ現存しています。
何気なく見過ごしている風景の中にも、実は被災から立ち上がるために原のような民間人が中心となって作り上げた街並みが存在していることはあまり知られていません。
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